海外研修の危険な旅〈ローマ〜フランス〜イギリス〉

あの大英博物館を無視してパンクなお兄さんたちと遊んでいた私タチ(あえて一人ではない)。いけない短大生だった。イタリアからフランス、イギリスを巡る旅の一番の楽しみは「ルーブル美術館」二番目が「パンクな方々」。しかし、行って今でも強烈に印象に残っているのは、イタリアの町並みやポンペイの遺跡。何世紀も昔から代々受け継がれて、今もなお利用し続けているところがスゴイ!!

空港から降り立ったイタリアの印象は、「くさい」「あつい」だったけど、しばらく滞在していると、ローマなどはパンプスでは歩けないということ。石がごつごつむき出しになっている。かのオードリーヘップバーン主演の「ローマの休日」で、トレビの泉付近でパンプス履いて走ってたよねー??・・・きっとあのパンプスはボロボロになったに違いない。表面が平らではないんだもの。まぁ、MADE IN ミラノのパンプスは非常に丈夫ってことなのか!?大体パンプスってヴェルサイユの昔から男性が履く物だったでしょうに! 昔はう○こ(うちの小学生たちの言い方)を踏まないためにパンプスを使用し、頭上から降ってこないために女性を建物側に歩かせたって話。車道(馬車)は危ないからっていうのは表向き! それにトイレといえば、お金持ちの屋敷に設置されているトイレにはドアが40センチくらいの幅のものしかなくて、ほぼ丸見え。しかも、皆の通る中庭に設置してあるの。外国の方はちゃんと用を足してました。日本人はまず使わないだろうなぁ。

おっと、話がそれた。
ローマは遺跡がてんこもりで、少し歩けば隣の大きな遺跡が見えるって感じなので、迷子になることはそうないと思うのだが・・・なんせ、金閣寺の隣に奈良の大仏、その100メートル先にコロッセオって感じだもんね。とらは方向音痴だけど、ローマだけは大丈夫な気がする。

《イタリアからフランスへ》
ゼミの先生が「パン」や食物の研究をしていて、南フランスの農家に寄りたいと言い出した。まるで、親戚のおばちゃんのうちを通りがかるから挨拶させてっていう感じ。計画にはなかったようで、きっと旅行者の方たちは混乱したのではと思われる。なんせ、そのあとのバスのチャーターなど悲惨だったのだから。 2台のバスは大型のバスと小型のバス。小型のマイクロバスに乗ったのは、とらをはじめとする「なんかうさんくさい連中」今から考えると、日ごろから先生に媚を売っていたり、成績のよい方たちは大型のバスに乗っていたと思う。(考えすぎかな) そのマイクロバスが、何度か休憩所でとまったのだが、ある時中国の歴史を教えている教授だけ置いていってしまい、かなりの時間待たされた記憶がある。疲れていてほとんど覚えていないんだけど・・・。
その頃携帯電話という便利なものがあれば、間違いなくそんな瞬間も携帯に収めただろうに。
当時はせいぜい36枚撮りのフィルムを5〜6本持っていくのがやっとだった。それも5000円くらいする特別な銀色の袋にフィルムを入れて空港でも手続きが必要だった気がする。大切な写真なのに、同じフィルムに重ねて撮ってしまい、このたびの旅行の写真はあまり残っていない。

《洞窟》
考古学などを専攻していただけあった、この旅で一番多く訪れたのが「洞窟」かもしれない。ラスコーはそのときの所有者が個人になっており、見学できなかったが、牛の絵がいっぱい描いてあったLA GROTTE DE FONT DE GAUMEなどは時間内に入ることができた。(これってミュージアムの名前なのか洞窟の名称なのか不明)パンフのタイトルがこの名前。当時、日本人は滅多にそんなところに行かなかったらしく、とても珍しがられて、付近のレストランに入ったときは、ちょっぴり人気者。そこのお兄さんがとっても可愛かったので、わざと間違った日本語を教えてからかってしまった。いただきます→いかりやちょうすけ。ごちそうさま→たかぎぶー。などなど。 あのときのお兄さん、ごめんなさーい。若気の至りです。

《水があわない》
日本の水と違うのは、もう皆しっているけど、当時はまだ海外旅行でヨーロッパへ行くという人がそれほどいなかったので、知識としてわかっていても、ついつい使ってしまうのが怖いところ。それに料理にはもちろん入っているでしょう。 食事の時にメニューは忘れたけど、鴨のなんかを食べて、皆で調子悪くなった。食中毒ではなくて「水」だってことがわかり、食事にはいっそう気をつけるようにしたんだけど、そうはいってもスープとか、煮込むものをいちいちチェックできるかって!加工品のほとんどが地元の水を使っているのだから100%除去は難しいよ。生水を飲まなきゃいいってもんでもないってことです。お気をつけを。

《昔のルーブル美術館》
今はどうだか知らないが、昔は絵によって見れる時間帯が細かく設定されており、Aは午前中とか、Bは1時から3時。Cは水曜日水曜日の10時から14時まで。そんなんだから、一日ではとうてい周りきれない。それに加えて、絵の出張中ということもよくあり、エルタミージュに出張している絵なんかがあってチェックできなかった。エジプトの館も確か曜日が決められていて、とらはフランスにいる間は、あれだけ複数人数で行動しろと言われたのに、一人で毎日ルーブルに通っていた。 友人たちは、もっぱらブランドのショッピングが目的だから。とらには全く興味なかった。
大好きなアングルやクールベ(とらは水のきれいな画家が好き)をチェックすると、近くに警備員がついてロープで張られている絵があった。それが「モナリザ」ガラスケースに入れられて、2メートル四方をロープで囲まれ、警備員が二名。結構小さいので、全然見えない。ガラスに映った自分とか隣の人の姿ばっかりで、せっかくの「モナリザ」の陰影を楽しむことはできない。ロープから身を乗り出そうものなら、警棒が飛んできそうな勢いだった。今はどうなっているんだろう。モナリザはいまだに不満!

お気楽な私を含む仲の良い4人は、当時はやっていた深夜番組「オールナイトフジ」に出てくる女子大生のようなノリだった。海外に来ていなくても普段からそういうノリだったのだが、知った目がないと思うと、更にパワーアップするようだ。もしもこの場に他の友人がいたら、間違いなく他人のフリをされていたに違いない。あとから考えると恐ろしくなる。

《フランスのおもちゃやさん》 大好きなお店「nainblue」。アンティークドールや木のモビールや木馬などが飾られていて、とてもファンタスティック。お店にいるだけで夢の世界にいるようです。ドールでは老舗のようだったけど今もあるのだろうか。

《イギリスの兵隊に迫られて!》
とらと同じくUKロック好きの子と、微動だにしないロンドンの兵士に近づいて写真を撮ろうということになって、(本当に申し訳ございません!だってかっこいいんだもん。。ロンドン兵士ってスティングみたいなのばっかりなんだよ。若気の至りでございます)かわいそうに兵隊さんを囲むように、二人で写真を撮ってもらっているところだった。 当時、ダイアナ妃が迎えられたばかりでまだ熱狂覚めておらず、ウィンザー城のまわりは人だかり。そのスキをぬって写真を残したのだから、この勇気は素晴らしいバカさ加減だったと思う。
なんとなくザワめいて、皆私たちを指差しはじめた。そのあたりにいた子供たちもいつのまにか親元に戻っていて、広場には私たちと兵士だけ残った。 背後から規則的な足音が聞こえる。
それは、兵士の交代の時間だった。観光客が目当てにしているイベントのひとつ。
や、やばい。気がついて慌てて皆のところに戻った。本当にあと2歩というところまで交代の兵士が来ていた。もしも私たちの気づくのが遅く、交代に支障をきたしてしまったら、どうなっていたのだろう。それを思うと本当に申し訳ない。よかった、携帯ない時代で!(間違いなく各国のサイトに流れていただろうよ)

ロンドンでは、この他、気にいらない旅行代理店の方のホテルのドアに、ヘアムースで落書きしたり(後には残らないので可愛いもんですが) なんか、色々やらかしたような記憶がある。 ※旅行代理店の方や教授と、同級生の一人ができていたのですが、その関係がいわゆる今で言う援助交際みたいな感じで、それをエサに色々と悪さをしていて、関係ないって言えば関係ないんだけど、何かの時にこちらが不利になるよう仕向けられたので、それに反抗して・・・の行為だったような気がする。
よく卒業できたなと思う。。。
| HOME | TOPページに戻る |

since 2000.2.12
Copyright c 2000 TORA - All Rights Reserved.
inserted by FC2 system