転校生の宿命

あなたは、「転校」をしたことがあるだろうか。 とらは、小学校で6回、中学校高校でそれぞれ1回づつ、通算8回の転校を経験している。 そもそも、親の職業によって引越しはいつも歳の数を上回っていた。33歳になったとき、やっとそれがストップした。そう、33回引越ししたのだ。引越しやさんの○○パックとかいう、お金さえ出せば全部やってくれるようなサービスはなかった時代。箱を集めるところから、電気機器の取り外しまで、全部自分でやらなければいけなかった。しかも、私の父は、引越しの頃には既に新しい土地で仕事をはじめていることが多く、引越しはいつも私と母の二人だけだった。

小さい時から、自分の身の回りの物をダンボールにつめていたので、空間を利用するセンスが養われたような気がする。とにかく、引越しやさんに任せたりしないで、全部できるようになっていた。一人暮らしを高校の時からしているのだが、その頃にはストーブの取り外しや分解もできるようになっていた(笑)

なんと反対の方向の電車に乗ってしまったのだ。「いっけな〜〜い!」あわてて降りて、「どうする?ここでもいいかぁ〜〜」なんて話しながら歩きかけたその時、構内の人込みが一瞬、一方へ向きを変えた。私たちも流れに身をまかせて同じ方を向いていた。「おいっ!!」誰かが大声で怒鳴った。何事?かと耳を澄ませる。皆、ぎゅうぎゅう詰めになりながら、不思議と静まり返った どうしたら友達ができるか・・・

学校に入る前の私は、気が弱くて・・・それもそのはず、新しい土地で慣れていないのに、皆とお友達になったと思ったら、又引越し〜という繰り返しだったから、すっかり消極的になっていたのかもしれない。・・・「どうせ、友達になっても、又すぐに会えなくなるんだもの」と思うと、深くつきあうのが怖かった。

所で一人で遊んでいると、「見たことないやつだ〜〜」とからかわれ、石をぶつけられたり、おもちゃを投げられたりした。ドロをかけられ汚れた服で帰っても、母はなんにも言わなかった・・・と思う。よく覚えていない。もしかしたら、ものすごく悲しいことだったのかもしれないのに、私にはこういう「記憶」があまりないのだ。忘れたかったのかもしれない。

学校に入ると、1年〜3年の頃は私はあまり目立つ方ではなかった。たくさんの色々な子供がいて、その中に紛れこんでいるのが妙に安心できた。ところが、「転校生」というのは、ヘタをすると吊り上げられやすい。クラスにもよるのだが、何かというと「質問攻撃」にあったり、勝手に盛り上げておいて、熱が冷めると、いつものグループに戻っていく。私の入る隙間がないのだ。女の子は特にグループを作りたがる。3人のグループ。5人のグループ。そのどこかに所属していないと休み時間に話す相手がいない。

私はどうにかして、話し相手が欲しかった。給食の後、一人でポツ〜ンとしているのが、間がもたないというか・・・なんともイヤな感じだったから。そんな私にも近づいてくる子が一人は必ずいたんだ。後で考えると、そういう奴って、皆からのけ者になっている子だったんだね。でも、当時の私には藁をもつかむような気分で、とにかく嬉しかった。私にも友達が出来た!



2年生の時の友達Wちゃん、いつも彼女の家に遊びに行った。とても大きなお家で、お手伝いさんがいた。自分の部屋もとっても広くて、そこにはたくさんのおもちゃが置いてあった。私が欲しいと思っていた人形のシリーズの小物が全部揃っていて、まるでおもちゃやさんのようだった。着せ替えの洋服も何十着もあって、発売されたばかりの綺麗な衣装ケースに入っていた。 クリスマスの時だったか・・・私が母におねだりして、やっと買ってもらったリカちゃんのダイニングテーブル。当時誰もが持っているようなものを私は宝物にしていた。リカちゃん人形とダイニングテーブル。それだけが、唯一私のおもちゃと呼べるものだった。そんな私から見ると、このWちゃんの部屋は、宝の島のようだった。でも、私が自分の好きなものに手を伸ばすと、彼女はすぐにそれを取り上げ、「これ、いいでしょう〜。」と自慢して奥に片付けてしまうのだった。私は、彼女のそんな態度も全く気にしていなかった。目の前の宝の山は見ているだけでも楽しくて、

なんと、別行動していた私たちが、全員あの事件直後に同じ駅に居合わせたらしい。
あの瞬間、落ちた青年を見てはいないが、直後の人々の顔つきが今でも忘れられない。あの驚きの顔が一瞬にして「ワクワク」した顔つきに変わった。あの時から、東京は怖い街という印象をぬぐいさることができない。

転校することで得た貴重な経験 「出会い」と「別れ」。小学校の低学年のうちは、新しい出会いに期待する気持ちの方が強かったが、高学年以降にもなると、転校した後、自分が忘れられることへの不安が勝ってきた。友人たちは、皆、私がいなくても今までどおり楽しくやっていくんだろうなと思うと、ちょっとせつなかった。もちろん、新しいところへいき、新しい友達ができるという楽しみはあったけれど、自分のことを少しでも理解してくれる友達と離れることが、苦しくて悲しい体験であることに違いないのだ。新しい土地では、また一から人間関係を築かなくてはいけない。それは・・・決して一日ではできないもので、色々な出来事をとおして培われるものだ。

転校する日、私からみんなにノートと鉛筆のセットをひとつづつ手渡した。お決まりのものとして、いつも母が用意していてくれた。ところが、あるクラスでは移動のトラックの中ででも見てねと、大きな箱をひとつ手渡された。ため息と期待の入り混じった思いを、誰にも相談することもなく自分の中に秘めたまま、皆の顔を思い出しながら箱を開くと、中にたくさんの「ガラクタ」がひしめきあっていた。
だけど、これ、前に友人に「いいなぁ〜」とつぶやいた綺麗なビー玉とか、コマを回すのが上手な男の子が一番よく回るって言っていたコマだったり、手作りの貯金箱だったり、私が集めていたカードの足りないものだったり・・・そんなものを見ていたら涙が出てきた。ありがとう。。。

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