◆出産記録 エピソード(音無し)
2002/6/9・・・
とても素敵な助産婦さんとめぐり合った

自宅分娩を夢見るが道は遠く

周りの誰からも反対されていた

それでも決意は変わることなく

誰の助けも借りず

お手伝いさんを雇って産むことに決めていた



そんな矢先・・・

ダンナの母が友人たちと旅行に行く計画が持ち上がった



病院で出産し、義母の家にお世話になる

としたら、その旅行計画はとうてい無理

自宅出産ならば、旅行に行けるかも・・・

そんな思惑もあってか急に態度を変え

「自宅出産大賛成」となったのだ



義母の変わりようにダンナもたじろぎ

賛成しないわけにはいかなくなった

予定日は6月24日

旅行は7月半ば・・・

産後2,3週間すぎている頃だから大丈夫かな

「でも、できれば早いほうがいいんだねー」

な〜んてはなしていた次の日のことだった



6月9日自宅にて・・・

5分間隔の陣痛が始まったので

助産婦さんを呼んだらやっぱり陣痛微弱

「アセらなくてもいいんじゃない?

もしも、このまま陣痛が遠のき

おさまるようだったら、明日会社に行ってもいいよ」



「実際に6センチ開いたままで一週間たつ人も

いるんだから・・・」

ゲゲッ・・・そんなぁ〜〜

とりあえず、助産婦さんには一度帰ってもらった

こうなったら、家中の大掃除でもして

出産を早めるか!?歩き回ること1時間

やっといい感じになってきた

助産婦さんを呼び戻す




ちょうどその頃ワールドカップ「ロシア×日本」戦が

はじまろうとしていた

ダンナの実家に泊まっていた1号2号が帰ってきた




キックオフと共に強い陣痛がはじまり

「稲本ゴ〜〜〜ル!!」の声と共に頭を出し

午後10時13分、家族に見守られる中、無事出産

(短めのへその緒が首に巻きついていたので・・・

・・・頭出てからがちょっと長かった)

『秀斗(シュート)』と命名(しょうがないじゃん)

早速、ベッカムヘアにしてみた



兄ちゃん(1号)は、「お母さん、痛いの?泣いてもいいんだよ。」

「あ〜見てられない。僕、涙が出てきちゃった」

とハラハラしながら、ついに鼻血を出す



次男(2号)は、そんな兄ちゃんを尻目に

「あっ、おしりから出てきた」

「なんでお尻から出るの?」と、なんで攻撃を連発

両手で私の顔を自分の方に向けて「なんで?」ってさぁ〜

人がいきんでるっていうのに!!おかしくて大変だった



ダンナに至っては、なるべく見ないようにしていたのか

或いはビデオやカメラの扱いに慣れていないせいか・・・

この素晴らしいチームワークの現場をとり損ねて

出産後やっと旅行バッグから「ひっぱれ〜」という

バカチョンストロボカメラを出してきた



現在とらは、好物の乳製品を一切断ち切り

ひたすら「ごぼう」「れんこん」「にんじん」「玄米」などを

中心の食生活に切り替え・・・よう!!

というのが目標だが懺悔の毎日(汗)

「5時間おっぱい」だけを唯一の武器として

家事を「微助人倶楽部」の方にお願いし

ひたすら安静を心がけている



予定より、2週間も早い出産に周囲は驚き

親戚はまだ知らない状況の中



「それなら7月6日の仕事ができるじゃない」と、

社長からのメッセージが・・・



仕事復帰第一弾が、あと2週間ちょっとと迫った今

果たして、とらはMサイズのスーツを着ることができるだろうか・・・













ちなみに産後21日間安静という根拠は

お産のために開いた骨盤が

元に戻るのが大体21日くらい

骨盤が元に戻らないのに

重いものを持ったり、長い時間立つなどをすると

歳をとってから、特に「腰」に故障がでるのは

当たり前と言われている

産後21日間は絶対ベッドから離れない

という宗教もあるとか(悪)

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